Neighbors / 隣人 (2015)

 


 

私たちは共に生きている。

「共に生きている」=「社会を形成している」「コミュニティーの中で生きている」ということだとすれば、その社会と社会の関わり方や協調の必要性が「宇宙船地球号」などと比喩されるような国際的、世界的な意味での「共に生きる」という考え方に繋がるのだろう。また、「共に生きる」最小単位としてよく例に出されるのは「家族」だが、その最小単位を形成し得ない一人暮らしという生活形態において、その代わりとなるものは、地域や隣近所に住んでいる人々との関係になるかもしれない。

しかし、私の個人的な経験で言えば、現在の都市部において、その地域、近隣との関係はきわめて希薄であるのだ。最もそこには、あらゆる要因が影響しているだろうが、一番の問題は、私たちは、誰と供に生きるべきであり、一般に「共に生きるべき」とされている人々のことをどの程度知っていて、それは相手を判断するに足る情報量なのか、ということである。多くの場合、容姿や言動、服装、持ち物などで検討をつけ、テレビやネット、親しい人とのコミュニケーションで得た情報を元にそれを補足、拡張して自分を納得させるのだろう。

この作品は、ある個人や集団について、外側から知ることの出来る情報は限られていること、また私たちは周囲に居る人々や自分を取り巻く環境に付いて、多くの場合、無知に等しいのではないか、という私自身の疑問に端を発し、それを実際に私が住んでいるアパート(2015年現在)に置き換え、私がそのどの部屋の人についても詳しく知らないこ、どの部屋のドアの前に立ってみても、住人の個性を凡そ垣間みることが出来なかったことと関連させて、その各部屋のドア(外側)のみを徹底的に観察することに依って、「外側」の無意味さと「内側」の重要さ、「共に生きている」人々についての無知を問うものである。

 

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